【コラム】パラリンピックに想う「共生」

今夜、東京パラリンピックが13日の全日程を終えて閉幕する。共同通信は5日付の記事で「多様な障害を抱えたパラアスリートの活躍で違いを認め合う「共生」の意義を伝えた」と報じた。

浄土宗では法然上人の八百年大遠忌を機縁として「共生(ともいき)」をスローガンに掲げている。「共に極楽往生するために、現世では念仏生活を充実させて生きる」ことの大切さを理解しやすく表現したものだ。

現代使われる「共生(きょうせい)」は記事の通り「今生きている人々が互いの違いを認め合い生きること」やSDGsなどで活用される「自然との共生」が主だが、浄土宗が標榜する「共生(ともいき)」はそれに加えて「人間ばかりでなく、すべてのものは他と関係し合って生起・存在しており、それらは過去から現在・未来へと繫がっているとするもの」とするもので、過去世のご先祖さまや未来世の子どもたちとも繋がりあって今の命があるという考え方だ。

つながりの中の命という考え方にたてば障がい者、社会的弱者と区別する必要もない。また、お念仏を中心とした生活の中でご先祖を供養し、未来の家族を想う時、今の自分はどう生きるのかにつながる。

今生きている世界(横軸)
過去から未来へとつながる世界(縦軸)

この交わる点にそれぞれが切磋琢磨して今を生きる。一人ひとり違う輝きがあるが、ことにパラリンピックの選手たちは見ている人の心を打つ輝きを見せてくれた。

今夜パラリンピックは閉幕するが、その輝きを今後も注目していきたい。まずはお疲れ様でした。

これからも共に生きていきましょう。

時はいま ところ足もと そのことに うちこむいのち 永久の御命

椎尾弁匡大僧正

南無阿弥陀仏 合掌

この記事を書いた人

服部祐淳

はっとりゆうじゅん
1983年 長野市生まれ
大正大学大学院(浄土学)修了後、浄土宗宗務庁入庁。『浄土宗新聞』の編集を12年間担当し退庁、長野の自坊に戻る。雑誌『浄土』では「ぶつぶつ放談」の編集を担当。