赤坂めーしょー
「念仏を称える暇もない!」……そんな人にこそ、読んでほしい。
仕事と育児の両立に挑む浄土宗僧侶による、体当たりの連載企画。慌ただしい日常が、浄土の教えによってどう変わるのか。理想と現実の間を右往左往する日々を綴った、リアルな”奮闘記”が始まります。
著者プロフィール
赤坂めーしょー
1990年5月21日生まれ。福島県伊達郡桑折町出身。大正大学大学院(浄土学)修士課程修了。近代浄土宗に興味を持ち、現在は東京の寺院で研究出版業務に従事し、法然上人鑽仰会の編集部にも携わっている。2023年の誕生日に結婚。2024年7月に長男が誕生。2DKのアパートで共働きをしながら、一児の父として、また浄土宗僧侶として、日々「牛歩前進」を続けている。
エピソード0 阿弥陀さまと長男
浄土宗のご本尊である阿弥陀さまについて、知っているようで実はよく知らない――。
昨冬、私はある疑問に突き当たりました。
例えば葬儀や法事の場では、大切な亡き人の顔を思い浮かべて念仏を称えます。しかし、仏壇の前を離れた日常の中で念仏を称えるとき、私は果たして“お慕いする阿弥陀さまのお顔”を思い浮かべることができているだろうか、と。
ハッとしました。
ご縁のある故郷福島のお寺のご本尊さまも、自宅にある木造の阿弥陀さまも、日常の中で称える念仏では、どこかなじまず、そのお顔を思い浮かべることはありませんでした。
僧侶でありながら、もっとも大切な存在であるはずの阿弥陀さまのお顔を、鮮明に思い浮かべることができない。その事実に、言いようのない寂しさともどかしさを覚えました。
そこで私は、“心のご本尊さま”を探し始めました。日常の中でも、ありありと思い浮かべられる阿弥陀さまを――。
時を同じくして拝読していた笹本戒浄(ささもとかいじょう)上人の伝記に載っていた弁栄聖者筆の三昧仏さま(横浜慶運寺蔵)のお顔が、知的な清らかな表情で、それでいてどこか親しみのある感じがしました。
まさに救いの眼差しに惚れ惚れするお顔でした。細かいようですが、印相(手)がお顔の近くにない方が、自分に合っていると思いました。
その出会いをした束の間、ある夜、長男(当時1歳5か月)がやってきて、私が読みかけで布団に出していた笹本上人の伝記を戯れながらぺらぺらとめくりました。そして慶運寺三昧仏さまに向かって、
「ん!ん!」
まるで、「ここに阿弥陀さまがいるよ」と言うように何度も何度も指さしました。私の中に言い表すことのできない気持ちが込み上げてきました。
最近、長男は「パパ、パパ」と何度も呼ぶようになりました。私の顔を見て絵本を読んでとせがんだり、落ちているスマホを拾って「パパ、はい」と言って渡してきたりします。些細なことですが、とてもうれしい気持ちになります。
改めて子供にとって親は他人事ではありません。切っても切れない血を分けた親子です。
阿弥陀さまと私も仏性(霊性)を分けていただいた、もっと広い意味での“親子の関係”です。我が子は大人になりますが、阿弥陀さまにとって私はいつまでも子供のままです。
だからこそ子供であるから、何気ない日常でも阿弥陀さまを呼ぶときはお顔を思い浮かべられるようにしたいと思います。顔を思い浮かべられないなんて、互いに寂しいじゃありませんか。
――今、人の親になって阿弥陀さまとの関係を考えさせられています。
この短編エッセイは私が子育てを通じて浄土の教えを実感した内容を綴ります。お手柔らかにお読みください。共生合掌。

慶運寺三昧仏さまの額入り複製を自宅にお祀りしております。
『浄土』編集部より
今月より予定していました吉田淳雄「近現代浄土宗史」の掲載は諸事情により、延期させていただきます。
