【法灯リレー現場レポート】「法灯とは我々の人生の足元を照らす灯りである」投稿者 神戸市・東極楽寺 小林善道

浄土宗開宗850年慶讃事業「法灯リレー」が5月9日に行われました。全国浄土宗青年会行脚担当スタッフとしてその任にあたられた神戸市・東極楽寺の小林善道上人に比叡山黒谷青龍寺から総本山知恩院までの念佛行脚の模様を「法灯とは我々の人生の足元を照らす灯りである」と題しレポートしていただきました。

 令和5年5月9日午前4時30分。第27期全国浄土宗青年会役員ならびに全国教区浄青理事約70名は、大型バス2台に分乗し、まだ薄暗い比叡山黒谷青龍寺へと向かった。来年に迫る浄土宗開宗850年、その慶讃事業「法灯リレー」のスタートを切るためである。

 「法灯リレー」とは、承安5年(1175年)に法然上人が43歳で浄土宗を開かれるまでの間、御修学を重ねられ、善導大師の『観経疏』に説かれる御念仏のみ教えに出会われた比叡山黒谷青龍寺から、来る令和6年(2024年)に開宗850年を迎える今、改めて全国全世界へとその灯を「み教えの証」として仰ぎいただき繋いでいくことで、開宗850年への機運を高めると共に、浄土宗開宗より脈々と引き継がれてきた御念仏のありがたさを、改めて実感していただこうという、『浄土宗開宗850年慶讃事業』の一つである。

 この事業の主催は浄土宗であるが、全国浄土宗青年会がその主幹となり、第26期全浄青(元理事長 松野瑞光上人)当時より進められ、その後現在の第27期全浄青(理事長 寺井孝導上人)が本格的に企画等にあたった。

 私は27期の事務局スタッフとして、その中でも比叡山黒谷青龍寺から総本山知恩院までの念佛行脚コースの選定やタイムスケジュール作成、雨天時の計画や当日の警備、また会員送迎用貸切バスの運行等を総括する「念佛行脚部会」のリーダーを務めさせていただいた。

 思い返せば、この事業計画時はコロナ禍真っ只中、理事長所属の北海道を中心に組まれた全浄青事務局を中心に、各地区浄青の常務理事、奈良、京都、滋賀を中心とした近畿地区浄青の皆様と何度も何度も、時には夜中までWeb会議を重ね、より良い事業にしようと互いの意見をぶつけ合い、計2度に渡る現地での行脚リハーサル(事前行脚含む)を経て本番当日を迎えた。

 ある時は、私の認識不足や未熟さが原因で、想定外の出来事が起き、計画がひっくり返ったり、時には白紙に戻ったりと、心が折れそうになった事もある。そのたびに自省をし、法然上人のご苦労に比べれば、こんな事は大した事ではない。「真成報仏恩」の想いで前に進もう、と気持ちを切り替え軌道修正を行った。

 それはやはり、この事業が浄土宗主催であり、そして開宗850年という大きな節目であるという大きなプレッシャーがあったからであろう。そんな中でも浄土宗社会部の皆様をはじめ、全浄青の仲間や多くの方々の知恵や力が一つになり本番当日を迎えたのである。

 当日朝7時、宗祖法然上人が『開宗の文』に出会われた比叡山黒谷青龍寺の報恩蔵より、「法灯(み教えの証)」としてその蠟燭の灯りを頂戴し、宗務総長 川中光教上人御導師のもと青龍寺本堂にて別時念佛会を勤め、法灯リレーはスタートを切った。

 朝8時、吊灯篭に灯された法灯と令和版結縁交名、そして記念品を携え、まずは大本山くろ谷金戒光明寺までのルートを1区間40名の計4区間に分け、比叡山黒谷道を八瀬方面へと下り、白川通りを南下、京都芸大前を通過し、白川通今出川の交差点から神楽岡通りを進み、真如堂の境内を巡拝、西雲院内「紫雲石」へ参り、大本山くろ谷金戒光明寺御影堂へと法灯をリレーした。

 大本山金戒光明寺では藤本淨彦台下御導師のもと献灯法要を厳修。その後、総本山知恩院までの約2.5kmの道のりは、随喜会員約180名の全員で念佛行脚を行い、15時から知恩院御影堂にて厳修される「法要リレー開白法要」に合わせ、比叡山から知恩院までの全行程約17㎞の道のりを約7時間かけ念佛行脚を行った。

 総本山知恩院御影堂での開白法要は、伊藤唯眞浄土門主猊下を御導師に、宗務総長はじめ宗特別職・知恩院執事長・知恩院執事、また全国47教区教区長ならびに教化団長、また海外開教区・開教地代表者ご臨席のもと厳修され、無事法灯は全国・全世界へとリレーされた。

 その際、伊藤唯眞猊下に頂戴した御垂示の中の一節が、冒頭の「法灯とは我々の人生の足元を照らす灯りである」というお言葉である。

 今から850年前、法然上人はどのような想いで開宗に到られ、どれだけ多くの人々の足元を照らし、心までを明るく照らされたのだろう。御伝記でその様子をうかがい知ることは出来るが、そこには私の想像をはるかに超える法然上人のご苦労と共に、その“み教え”に照らされた多くの人々の感動があったに違いない。その尊く有難い足跡を辿るように、青龍寺から金戒光明寺、そして知恩院へと、43歳前後の青年僧が念佛行脚でそのバトンをつないだのである。

 そんな中、この法灯リレーの実施を全浄青公式SNS(TwitterFacebook)や京都新聞への折り込みチラシ、また当日知恩院三門前でのチラシ配布という形で告知したところ、多くの方々が沿道や総大本山の境内で我々をお待ち受け下さった。

 比叡山八瀬から白川通りを南へ下りはじめてすぐの辻でお待ち受け下さった男性は、「新聞の折込チラシ見て、これは有難い事や!比叡山からどのルートで下りてこられるかと思い、絶対ココは通るだろうという場所で朝からお待ちしておりました!このまま知恩院までご一緒させてください!」と仰ってくださり、我々がくろ谷で献灯法要勤めている際も、知恩院で開白法要を勤めている際も、畳の上ではなく外回廊の板の間に正座し、念珠を手に御念仏を唱えておられた。

 また、金戒光明寺から知恩院へと向かう際、スーツをお召しの老紳士が、境内の砂利の上に正座し百八念珠を繰りながら、涙を流しお念仏をお唱えされる姿をお見受けした。

 そのお姿を拝見した瞬間、不思議な身震いが起き、私も涙を流し、しばしその場で共にお念佛をお唱えさせていただいた。

 そして、無事法灯が到着した知恩院御影堂には、老若男女、国籍も人種も関係なく多くの方々が集い、共に開白法要を勤め、法灯は念佛弘通の更なる灯として、全国各地、世界各地へと再びリレーがはじまったのである。そして、法灯と共に旅をする「令和版結縁交名」を来年の結願法要に向け回収し奉納の後、この一連の法灯リレーは結願する。

 法灯リレーに参加した青年僧の一人一人が、一歩一歩、一声一声、歩幅を合わせ、声を合わせ、心一つに繋いだ法灯は、これより約一年をかけ全国・全世界へとリレーされる。その法灯が、多くの新たなご縁を結び、多くの方々の足元を照らす希望の灯となることを切に願わずにはいられない。そのお念仏の一声一声が、間もなく開宗850年を迎える法然上人への報恩であり、そのお念佛の声響く場所が世界の何処であろうとも、そこはまさに法然上人の「み教えの灯」輝くご遺跡となるだろう。

 間もなく私は奇しくも43歳を迎える。法灯リレーは結願しても、この命尽きるまで様々なご縁の中でお念仏のバトンを繋いでいきたい。

 彼の佛の願に順ずるが故に。

※法灯リレーの様子は、現在「浄土宗公式Youtubeチャンネル」にてご覧頂く事が可能です。是非ご覧ください。有縁の皆様へお弘め頂いたり、檀信徒教化の一助としてお使いいただければ幸いです(リンク

法灯リレーギャラリー

この記事を書いた人

小林善道