育児と浄土のあいだで#6

赤坂めーしょー

「念仏を称える暇もない!」……そんな人にこそ、読んでほしい。

仕事と育児の両立に挑む浄土宗僧侶による、体当たりの連載企画。慌ただしい日常が、浄土の教えによってどう変わるのか。理想と現実の間を右往左往する日々を綴った、リアルな”奮闘記”が始まります。


著者プロフィール

赤坂めーしょー

1990年5月21日生まれ。福島県伊達郡桑折町出身。大正大学大学院(浄土学)修士課程修了。近代浄土宗に興味を持ち、現在は東京の寺院で研究出版業務に従事し、法然上人鑽仰会の編集部にも携わっている。2023年の誕生日に結婚。2024年7月に長男が誕生。2DKのアパートで共働きをしながら、一児の父として、また浄土宗僧侶として、日々「牛歩前進」を続けている。


エピソード6 育児と凡夫

長男は2歳3か月になりました。発語がどんどん増える反面、イヤイヤ期を爆発させております。

最近、職場の研修で仏教保育についての講義を聞く機会がありました。それについて、少し思うところを書いてみたいと思います。講義のレジュメに、こんな一節がありました。

【保育者も「凡夫」、親も「凡夫」、みんな凡夫。その現実を認めよう。認めてもらう。先生も親も園長も、1人で背負わなくていい。むしろ背負っちゃ駄目。困る姿、無知な姿を子どもに見せよう。人間は〝アホ″だからこそ、ひととつながる。】(レジュメ抜粋)

仏教保育の立場として、人間はみな「凡夫」(ぼんぶ)――つまり、支え合わなければ生きていけない愚かな存在である。だからこそ、互いの弱さや愚かさを認め合い、連帯して共に生活を支え合う人間関係を築いていくことが大切である。先生も親も1人で背負い込まず、皆で支え合って子どもと共に成長していけば良い。

とまあ、ざっくりとこのような内容を含んでおりました。

浄土宗の教えにおいて「凡夫」といえば、欲望や怒りといった煩悩を抱えたどうしようもない人間(この世で悟ることが出来ない存在)であっても、ありのままの姿で南無阿弥陀仏と念仏を称えれば、必ず阿弥陀さまが救ってくださる、という意味になります。仏教保育論的なニュアンスとは少し違うかもしれませんが、坊さんの説教などで「凡夫の自覚」という言葉は、ご存知の方もいるかもしれません。

私も知識ばかりで傲慢にならず、人間は仏さまの前では皆揃って愚かな人間であると自覚して支え合う「共生」(ともいき)の社会を作っていかなければならないと、常々思っておりました。

しかし、実際に子どもを育てる「親」という立場になって、この講義を聞いたとき、納得した反面、ふつふつと疑問が湧きあがってきました。

――ちょっと先生!、子育て中の親は「凡夫」になんかなってらんないよ!

とまあ、本音を漏らせばそんな感じです。仕事と育児に毎日精一杯で、「1人で背負わなくていい、みんな凡夫」と受け止めている心の余裕はありません(特に祖父母の支援がなく、東京で共働きしながら子育てする環境など、、)

私たちは皆凡夫なのだと頭では理解出来ても、現実の育児(特に新生児や未就学児)では、横ではなく目の前のことで精一杯です。自分のプライベートな時間を確保することさえ難しいなかで、自分の弱さを認める心の余裕を持つことは、決して簡単ではありません。そう、毎日が戦場です!! 「一食二食、食べなくたって死にはしない」と頭で分かっていても、目の前でご飯に手をつけない子供を見れば、親の心身は疲弊していきます。

他にも子育て世代の少ない職場で、時短勤務や子どもの急病による欠勤に肩身の狭い思いをしながら働いている親もたくさんいると思います。

さらには、SNSなどで理想的なキラキラ育児を見ると、目も当てられません。環境や子どもの性格には大きな個人差があります。「そうしたくても、そうならないんだよ!」と、叫びたくなるのをぐっと抑えています。

つまり、坊さんとして大事だと思っていた「凡夫」という〝ありのままの姿でいい″〝頑張らなくてもいい″というのは、一見すると簡単そうに思えて、実は子育て中の心に余裕のない親にとっては難しいことなのだと、身をもって思い知りました。人間同士の横の連帯、阿弥陀仏との縦の救済という2つの繋がり、いずれも現実の重みに押しつぶされてしまいます。

じゃあ、そう簡単に「凡夫」になれない子育て中の親に対して、きれいごとではなく、寺や坊さんは何ができるのだろう。寺という存在はどんな環境を提供でき(物質的・浄土観)、また以上の点を踏まえて坊さんは何を伝えることができるのだろうか(精神的・念仏観)。

残念ながら、講義ではその答えは知ることは出来ませんでした(質問はしようと思ったのですが、他に先客がいたので)。ですので、これは私の課題にしたいと思います。何か気づいたら更新します。

子育てというのは、幸せであると同時に大変なことも多い。ただ右往左往しながらも、ふと幸せが大変さを上回る瞬間がある。だからこそ、何とか生きていけるのです(ここ大事!)。浄土に向かって、牛歩前進です。

今回は乱文になり失礼いたしました。共生合掌。

この記事を書いた人

赤坂 めーしょー

1990年/福島県伊達郡桑折町生まれ。
大正大学大学院修士課程(浄土学)修了。
福島教区中央組無能寺の弟子。開山は無能上人。
創刊当初の雑誌『浄土』に関心を持つ。
ラーメン好き。ヒラメクカエル。