【2021年2・3月号】エンディング産業最前線【寺々刻々】

毎秋の恒例が、東京ビッグサイトで実施される「エンディング産業展」だ。これは、主に葬送に携わるプロ(寺院、葬儀社、仏具店など)のための見本市である。7回目となる今年はコロナ禍で開催が危ぶまれたが、流行が鎮静化した時期を見計って実際の会場とオンラインとで同時開催した。
私はオンラインの会場ツアーに参加。例年は2〜3万人を動員するが、今年はおよそ1万4000人であった。

かつては葬送にまつわるアイテムやサービスといえば保守的で、アナログで、雰囲気が暗く、画一的なものが多かった。しかし、会場の展示をみると現代の葬送事情を反映した、なかなか刺激的な内容のものが少なくない。

クリスタルがあしらわれたド派手な骨壺や、表面にプリント加工が施された棺桶などの奇抜な葬送アイテムが目をひく。葬送が簡素化・縮小化する一方で、現代人は「自分らしい」葬送を求める傾向にあるように思う。

ド派手なクリスタル骨壺

産業展で時代の変化を感じたのはまず、デジタル技術を駆使した葬式アイテムが急拡大していることだ。たとえば、訃報案内もスマホで行う時代である。遺族がメールやSNSなどを利用して、訃報案内を知人に発信し、事前に出欠のリストが作成できる。また、実際の会場を訪れた参列者は、スマホをかざすだけで記帳受付ができたりする。これは感染症蔓延時における非接触の記帳法としても有効だろう。今後、葬儀のIT化はますます拡大していきそうだ。

さらに、印象的だったのは葬送アイテムのダウンサイジングである。墓石や納骨堂、仏壇などがこじんまりしてきている。墓を持たない究極の埋葬法としては、「手元供養」がある。これは遺骨をずっと手元に置いておく供養法。遺骨を洒落たガラス容器に入れたり、ペンダントにして身につけたりするものだ。

遺骨を人工ダイヤモンドにし、アクセサリーとして身に着けるサービスがある。子どもを持たない夫婦のどちらかが先立ったケースなどの需要があるという。
遺骨ダイヤモンドは数十万円以上と高価だが、墓を買わないのでトータルとしてコストが抑えられる。しかし紛失した場合は覆水盆に返らないことにもなりかねない。また手元供養は遺骨を「相続」した相手が、その扱いに困惑しそうだ。

「エコロジー」も葬送業界は意識している。近年、SDGs(持続可能な開発目標)に基づく気候変動対策は、業界の大事なテーマである。
 それが、棺桶の変化にも現れている。通常、棺桶は桐などの木材を加工して作られる。遺体の重量にも耐えうる強度が必要で、厚みのある板材のほか、釘や接着剤などが使われる。しかし、火葬されるため、地球温暖化ガスが排出される。日本は既に多死社会を迎え、2030年の死者数は年間160万人に達するといわれている。地球環境に優しい棺桶の普及は喫緊の課題だ。

そこで、段ボールでできた「エコ棺」が登場した。体重200kgにも十分耐えられる強度を誇り、使用する木材も3分の2程度で済むという。将来的には、棺桶が再使用される時代がやってくるかもしれない。

霊柩車もエコになっている。そういえば最近、霊柩車を見かけなくなっているのではないだろうか。かつては、「宮型」と呼ばれる、神輿が乗った霊柩車がスタンダードだった。ベースカーも輿の重量に耐えうるキャデラックなどのアメ車が使われた。しかし、最近の霊柩車の主流はハイブリッドカーや軽自動車のバンだ。だから、霊柩車だとは誰も気づかないわけだ。そしてこれはコストをかけない簡素な葬儀にもつながっている。

 葬送は結婚式と同様に、流行り廃りがあるもの。新しい技術を取り入れながらも、佳き葬送文化は守っていかねばならない。合理性だけで「ミニマム化」に飛び付いたり、便利だからといって何でも「デジタル化」という流れはどうかとも思う。スマートな葬送は、「死」の概念をも遠ざけかねないからだ。死を意識することは、限りある生を大事にすることにもつながる。街に霊柩車が走っているのをみて、「親の死に目に会えなくなるから親指を隠せ」と教えられたような葬送の風景は、ずっと残していきたいものだ。

掲載号

2021年2・3月号掲載

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この記事を書いた人

編集部

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