【2020年12月号】釈尊最初の教化説法の地サールナート【インド紀行】

ブッダガヤ、尼蓮禅河の河岸で7日7夜、竜王ムチャリンダに守られて寒さをしのいだ尊は、ヒンドウー教の聖地ヴァナラシの郊外サールナートを目指した。サールナートも釈尊が悟りを開いたブッダガヤも、ともにヒンドウー教の聖地でもあり、人々が多く集まる所であつた。サールナートで教えを説いた5人は、以前に修行にともに励んだ5人の修行者である。この5人、釈尊の父が我が子につけた護衛ともいわれている。

サールナートはもともとサーランガナート鹿神の聖地であった。ここが鹿の園(鹿野苑)と呼ばれているのも、その故からである。
さて、釈尊がこの地で説いたのは四諦(したい)、すなわち四つの真理と八正道(はっしょうどう)、すなわち八つの理想的生活方法であつた。

四諦の第一は、苦諦、つまり日々の生活の苦しみのこと。これには物理的な痛さと、何をしてもうまくいかない精神的な焦りも含まれる。
第二は、これら多くの原因で大きくなった苦しみのこと。
第三は、苦しみを乗り越えるところに悟り、つまり平和な生活ができること。
第四は、苦しみを乗り越える方法で、次の八正道が具体的にその方法を示す。

初めに正見、物事を正しく見る、正しい立場を守ること、次に正思、正しい思想を持つこと、それから正語、正しい言葉を使うよう心掛けること、続いて正業、つまり正しい行為をすること、そして正命、毎日正しい生活を送ること、次に正精進、日々努力すること、そして正念、物事を判断すること、最後に正定、精神統一をすること。そう、八正道とはすべて人間の心に関わり、同時にそれにともなう実際の行動のことを指す。

サールナートの広大な遺跡のほぼ中央にあるのがダメーク塔。ダルメーク・イークシャス。ストウーパ、すなわち法の眼の塔である。直線的幾何学模様が見事な塔だ。その周りを五体投地、一回ずつ体を地面につけ身長の長さだけ進む礼拝をするチベット巡礼者が途切れることがない。ちなみにこのダメーク塔は5世紀、グプタ王朝期に建てられたものである。

この遺跡の中で発見されたのが、アショーカ王柱の断片で、インド共和国のシンボルマークであるライオンの頭柱が飾られていた。アショーカ石柱の下部には、僧団の分裂を禁ずるアショーカ王の勅令がはっきり読み取れる。

ダメーク塔の反対側にはさらに壮大な塔の基壇だけが残っている。この基壇の下から釈尊の遺骨を収めた舎利容器が発見された。残念ながらこの塔はかってベナレスの大地主であつたジャガット・シンが自宅を建てる時の材料として利用してしまい、現存していない。
また、この塔の周辺で見つかった説法印を結ぶ赤砂岩(あかしゃがん)の仏像は、今は塔に隣接する博物館に飾られている。ちなみに日本の国立博物館でも展示されたことがある。

この地で釈尊は在家者ヤシャ一族を弟子としたが、これが在家者教団の初めと思われる。
境内には野生司香雪(のうすこうせつ)画伯(釈迦の生涯を書き続けた仏画家)の描いた仏伝図が内壁に描かれているムーラガンダクテイ寺院が建っている。また、ジャイナ教の寺院もダメーク塔の外側に建立されている。

掲載号

2020-12

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