―戦前の鑽仰会と浄青の話―
戦前の法然上人鑽仰会と浄土宗青年会について、まずはこちらのページをご覧ください。
戦前の法然上人鑽仰会と全浄土宗青年会聯盟の幹部であった中村辨康先生が一寸面白い記事を書いている。
「夫婦か兄弟か―浄青と鑽仰会との関係―」
まあ、話はこうである。昭和一〇年(一九三五)四月、浄土宗綜合教化大会の第二日目に全浄聯、三日目に鑽仰会が誕生した。助産師も大体同じで(助手が違うだけ)、互いに法然上人を中心に据え、発行雑誌も『浄土』『青年浄土』と顔が似たり寄ったりだったので、巷で二人は兄弟だと思われていた。そこには、兄弟喧嘩とまでは行かなくても、一人の女性を巡って争うような競争心があったそうである
「いや、ちょっと待ちたまえ。よく考えてみると、なんだ。二人は夫婦じゃないか」
二人の内面の事情について、辨康先生はこう分析する。寺の青年会(当時は住職と青年檀信徒)は初めのうちはやる気があっていいが、ある時期から常連だけになる。さらに会員も仕事や家庭の事情によって段々減ってしまう。一方の鑽仰会は寺に関わりのない雑誌会員が中心で、指導者もなく皆バラバラだから、こちらもある時期からぱったりやめてしまう。
「兄弟が別々に成長するならこんなもんだ」
では、先生のいう二人が兄弟ではなく夫婦とする理由はこうである。鑽仰会の雑誌会員を各地域の寺の青年会に入れてしまう。青年会の例会(別時念仏会・写経などの集まり)に参加した鑽仰会の会員、つまり熱心な在家の若手浄土宗信徒は、指導者と依処(寺)を得てどんどん成長し、青年会の有力メンバーになる。一方で寺の浄青会の会員も鑽仰会に入れてしまう。会員には月刊誌『浄土』をどんどん読んでもらい信仰を深めてもらう。そうすると熱心な法然上人鑽仰者となる。互いに産みの親になったり、育ての親になったりすると、いつまでも新婚の夫婦のように、お互いの顔を見つめ合いニッコリと喜ぶことになる。
「なんと諸君。関係が判ると案外つまらないが、しかしこんな平和な目出度い話はない。」
こうして辨康先生の鑽仰会と浄青を巡る話は大団円を迎えたのである。
さあ、話を戦前から令和時代に代えよう。
現在の鑽仰会と浄青の関係はどうか。夫婦でもなく、兄弟でもなく、ろくに会話もしないお隣さん同士になってはいないだろうか。辨康先生のいうように、これからは互いに協力して宗門を盛り上げていこうじゃありませんか。浄青の組織力と実践力、鑽仰会の『浄土』と「じょーど」が組み合わされば、青年宗侶の新しい活躍の道になるだろう。
最後に、辨康先生の当時の応援歌が、奇しくも我々へのメッセージとなったので、一字一句そのまま載せたい。
フレー、フレー全浄青。
フレー、フレー。鑽仰会
モウけしかけても大丈夫だ。何しろ夫婦だから。
あとがき
先日、東極楽寺の小林善道上人に「法灯リレー現場レポート」を投稿していただきました。誠にありがとうございました。今後も鑽仰会と浄青の良き関係を築いていければと切に願っております。